研修内容

賢慮型リーダー列伝

ここではビジョンを定め世界を創造した賢慮型リーダーの簡単な物語を紹介しています。興味を持ったらそれぞれの参考文献を読んでみてください。

太公望呂尚

気長に魚のかかるのを待っている釣り人のことを太公望と呼びますが、これは殷を倒す決意をした文王が人材を求めて太公望の元へ礼を持って接してきたときに、えさをつけていない釣り針で釣りをしながら、文王と問答をして、文王の人柄を探ったというエピソードに基づいています。周の軍師となり、当時暴虐の限りを尽くした殷の紂王を文王の子供である武王と共に討ちました。後に封ぜられた斉の領地でさまざまな特産品を開発し、財を成したとも言われています。

参考文献
『六韜』 林富士馬訳 中公文庫
『封神演技』 安能務訳 講談社文庫

有名なエピソード・言葉 「天下は一人の人のものではありません。ただ聖徳を備えた天下の主となって政治を行うことができるのです」
「人民の利益を奪い取らないで、人民の生活の安定を心がけるものこそが人民を自分のものにできるのです。」

張良

張良は漢を興した劉邦に軍師として仕えた一人です。若いときに秦の始皇帝の暗殺を試みましたが失敗し、逃亡中に太公望の書いたとされている『六韜・三略』(現在では後世の兵法家による著と見なされていますが)を仙人である黄石公から授けられ、軍師としての能力を開花させたといわれています。 張良は、ライバルの楚軍を追い詰めた際、漢軍が楚の故郷の歌を歌えば楚軍は周りを完全に包囲されていると思って観念するでしょう、と進言し楚の曲を自ら演奏し、有名な「四面楚歌」の状況を作り出し楚軍の士気を奪いました。

参考文献
『中国の思想 第10巻 孫子・呉氏・尉繚子・六韜・三略』 村山孚訳 徳間書店

ハンニバル

ローマ軍はギリシアとシチリアを平定すると、いよいよ北アフリカの平定に乗り出しました。そこで対立したのがカルタゴの名将ハンニバルです。ハンニバルは北アフリカをローマ軍の侵攻から守るのではなく、ローマの都市をこちらから攻める必要があると考えましたが、当時の常識的ルートであったエジプト・ギリシア周りではローマ軍の防備線が固く、海戦を仕掛けるにはすでにローマの航行術のほうが優れているため、行き詰っていました。 そこでまず、スペインに渡り、ピレネー山脈とアルプス山脈を戦象の軍列で乗り越え、一気にローマの都市に攻め込むという、戦史最大の誰も想像しなかった弁証法的ブレイクスルーを行い北イタリアの都市を恐怖に陥れました。  しかし北イタリアに本拠地を築きそこに十数年も留まった彼ですが、彼の留守中に本国カルタゴが攻撃され、本国に召還されたこともあり、エジプト経由でまたカルタゴに戻り戦いを続けざるを得ませんでした。

参考文献
『ハンニバル戦記 ローマ人の物語II』塩野七生 新潮社
『古今の名将に学ぶ経営戦略』 デービッド・ロジャーズ TBSブリタニカ

ナザレのイエス

それまで愛やケアがなく律法でひたすら律されるだけの宗教観をことごとく覆したのは、もとは大工の子供だったナザレのイエスでした。もっともイエスも当初は厳しく自分を律する師のヨハネの教えるとおりの苦行をしていたのですが、やがて自分のやり方で神の愛を説くことを思い立ち、そのビジョンを完成させるために猛進しました。特にパブリックスピーキングの技術や組織運営の能力、広報の能力にも優れ、欧米の経営者の多くが、ビジネスの基本を聖書から学んだと答えています。

参考文献
『新約聖書』
『聖書で学ぶ成功哲学』 菅井英明 インフォトップ

有名なエピソード・言葉 「求めよ。そうすれば与えられるだろう。捜せ。そうすれば見出すであろう。門を叩け。そうすれば開けてもらえるだろう。」
「わたしについてきなさい。あなた方を人間をとる漁師にしてあげよう。」

ベンジャミン・フランクリン

凧を使って落雷から電気を得て伝導させる実験をした人と思われがちなフランクリンですが、実際は実業家・政治家として大活躍をしました。アメリカ独立宣言の起草委員となり、トーマス・ジェファーソンらと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人となりアメリカ建国の父の一人となりました。ことわざが書かれていて毎日それをめくるタイプのカレンダーがありますが、成功の道しるべを手軽に知ることができることができるように、とこれを発明したのも彼です。

参考文献
『フランクリン自伝』 岩波文庫

有名なエピソード・言葉 「私が見たところでは、理屈屋で反対好きで言葉争いに耽るような連中は、多くは仕事のほうがうまくいかないようだ。彼らは勝つことはある。しかし、勝利よりも役に立つ人の好意というものをうることは決してないのだ。」
「なすべきことをなさんと決心すべし。決心したことは必ず実行すべし」

エイブラハム・リンカーン

奴隷制度のないアメリカを実現した彼ですが、その道のりを彼の幼少のときから想像しえた人はいないでしょう。貧しくて学校に行けなかった少年時代は体格のよさを生かして木こりとして生計を立てる傍ら、空いている時間に独学して弁護士兼発明家になりました。弁護士時代も苦労しましたが、一番苦労したのは政治家に立候補しても落ち続けた時代でした。しかし粘り強くビジョンを作り上げ、その実現のため、多くの人が北軍が負けることを予想する中、アメリカを二部する南北戦争を戦い粘り強く北軍に勝利をもたらし、奴隷制の維持を唱える南軍の主張を全米から退けました。パブリックスピーキングの名手としても知られ、彼のスピーチからはさまざまな名句が生まれました。

参考文献
『話し方入門』 デール・カーネギー 創元社

有名なエピソード・言葉 「分れたる家立つこと能わず」
「人民の人民による人民のための政治」

ウインストン・チャーチル

第二次大戦の暗雲が欧州を覆うころ、ウインストン・チャーチルはナチスドイツが持ち出した講和を蹴り、ナチスと戦う決意を固めました。ナチスドイツは海を隔てたイギリスを制空権を握って制圧することを目論見ましたが、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれる戦いで、弱小だったイギリス軍の粘り強い技術イノベーションと兵士養成の手法の前に野望を阻止されました。

参考文献
『戦略の本質』 野中郁次郎ほか 日経ビジネス人文庫

有名なエピソード・言葉 「ネヴァー・ネヴァー・ネヴァー」

ガダルカナル島の米海兵隊

ミッドウェー海戦で日本が敗退したこと自体は、数字上の戦力さの上ではまだそれほど日米のバランスを崩したわけではなく、真に日本軍の敗退を決定付けたのは、その後のガダルカナル島の攻防でした。ここでアメリカはまったくの新しい軍事イノベーションである海兵隊を前面に押し出しました。
海上の移動と補給もできかつ陸上では陸軍と同様に戦える海兵隊は当時は中途半端と思われましたが、ガダルカナル島ではその性格を生かして、戦うよりも補給を優先させて陣地を大規模工事で築いていくという前代未聞の戦略に出ました。
 その一方で日本は島に他所で活躍した島の地形に不慣れな陸軍部隊を投入して、海兵隊が黙々と作り続けている重厚な陣地へと夜間切り込みを仕掛けました。戦闘力としては勝っている日本であっても、次々と後ろから補給が続くアメリカ海兵隊の陣地を奪うことはできず、全3回の切り込み突撃を海兵隊は防ぎきり、日本軍が途中まで作った滑走路を整備してここから徐々に日本列島を空襲できるだけの航行ラインを作り始めるのです。

参考文献
『失敗の本質』戸部良一ほか 中公文庫

有名なエピソード・言葉 「お前たちは永遠に生きたくはないのか」(ベイリー少佐)
「貴様たちになくて敵にあるのはガッツだけだ」(エドソン大佐)

レイ・クロック

比較的成功したセールスマンだったクロックは、52歳という年で突然自分の顧客だったハンバーガー兄弟の経営するハンバーガー店と同じシステムの店を自分でもやってみたいという衝動に取り付かれました。粘り強く交渉を続け同様の店舗システムの経営権を得た彼はそれをフランチャイズ化し、ビジョンを共有できる友人やほか企業オーナーにマクドナルドの店舗経営権を販売していきました。その土地ごとの特徴をあらゆる手段で観察し、最適な場所に店舗を定め、日常の生活に溶け込むやり方でマクドナルドは急成長しました。

参考文献
『マクドナルド−わが豊穣の人材』 ジョン・F・ラブ
『成功はゴミ箱の中に』 レイ・クロック

有名なエピソード・言葉 「特別な経験や才能は必要ない。常識を持ち、目標に向かっていく強い信念とハードワークを愛せる人物なら誰でもできるのだ」
「競争相手が私のスタイルのまねをしたり、計画を盗むことを阻止できない。だが、彼らは私の脳内までは盗めない」

カーネル・サンダース

日本ではサンタクロースと間違っている子供も多いサンダースおじさんですが、田舎で味は美味しいけれど地元に奉仕する小さなレストランを経営する気のいいおじさんでした。しかし、65歳のときに自分のレストラン前の国道を迂回する道ができ、街を素通りするフリーウェイも通るようになり顧客が激減するという悲劇が彼を襲いました。
年齢が年齢だけに普通なら引退をするところですが、彼は店でも一番評判だったフライドチキンの製法をより洗練し、チキンのレシピとスパイスとを買ってくれるほかの店を探して新たなビジネスを始めました。結局そのレシピとスパイスを買ってくれた店舗がサンダースおじさんを助け、ファーストフード店としてスタートする構想が持ち上がり、ケンタッキーフライドチキンとなりましたが、サンダースおじさんはむしろ味の伝道者としての役割を務め、日本にも3回来日しキッチンに真っ先に入り味を指導したりするのでした。

参考文献
『65歳から世界的企業を興した男カーネル・サンダース』 藤本隆一 産能大学出版部

有名なエピソード・言葉 「何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含めて、今まで人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない」
「最初に楽だった道は進めば進むほど険しくなっていき、逆に最初険しかった道は進むにつれ、なだらかになっていく」

盛田昭夫

大阪帝国大学を卒業して海軍技術中尉だった盛田氏は戦争が終わり、ほっとして実家に帰ってみると大きな酒造兼地主だった家は戦後の農地改革で何もかも取られてしまった後でした。大学と海軍で得た電信の技術を元に、海軍時代に知り合った井深大を口説いて、東京通信工業株式会社(後のソニー)を発足、当時アイディアや発明の段階で停滞していたトランジスタを用いて、主流だった真空管に変わって超小型のラジオを開発することに成功しました。
 話が楽しく快活だった盛田氏はどちらかといえば外に出て製品をPRしたり流行になりそうなものを感知する役目をしました。そうした生きた現場で見つけた、仮に現在の技術ではなし得そうもないアイディアでも社員に実現するよう挑戦させました。大型のラジカセを肩に担いで持ち歩いているアメリカの青年たちを見て衝撃を受けた彼は、小型の再生だけできるカセットをヘッドホン付きで開発したら若者の生活が一気に新しい次元に突き抜けるのではないかと考え、無謀にもウォークマンを作らせました。それが若者の生活を一変させたのです。

参考文献
MADE IN JAPAN 盛田昭夫 朝日新聞社

有名なエピソード・言葉 「利害の対立する問題に出会えば、われわれはどこかで自分の欲求の一部を犠牲にしなければならない。そのことを日本人は良く知っている」
「創造性はすでに存在する情報の処理や分析から出てくるのではない。それは人間の思考、絶え間ない洞察力、そして多くの勇気を必要とする」

スティーブ・ジョブズ

大学時代に友人のスティーブ・ウォズニアックと二人、家のガレージで外装もないむき出しの小型パソコンを夢中で作っていた彼には、小型パソコンを家庭で誰でも気楽に使えるようにするという使命がありました。
 目覚しく変化するIT界の荒波をアップル社が航海する中、不安定でライフサイクルの短い製品を無数に作り責任を問われアップル社を追い出された彼はめげずにピクサーというデジタル技術を元にした映像会社を作り、やはり当初手書きアニメにも劣ると揶揄された貧弱な技術を世界的なレベルまで引き上げました。ディズニーと提携したピクサーはその後数々のヒット作を生み出し、スティーブ・ジョブズは不調のどん底にあったアップル社に戻り、ウォークマンをさらに小型にするため、当時は音質が悪いと批判されていたmp3ファイルを使って音楽を気楽に聞けるアイポッドを開発し、そのデザインは若者の美意識とハートを射抜きました。
その流れで作ったアイフォーンは、当時ドコモやブラックベリーなどいくつもあった多機能携帯電話の方向性を一気に変えてスマートホンの時代を確立しました。プレゼンテーションの名手として知られ、普段着でステージに登場する彼を真似る起業家が続出しました。

参考文献
『スティーブ・ジョブズ脅威のプレゼン』カーマイン・ガロ 日経BP

有名なエピソード・言葉 「アップルのコンピューターを買う人はちょっと変わっていると思う。買ってくれた人は・・・仕事をしているだけではなく、世界を変えようとしている人々なんだ」
「なぜ音楽なのかって?僕らはみんな、音楽が大好きだからさ。大好きなことをするのがなんといっても一番だからね」

ジョゼ・モウリーニョ

 FCポルトやチェルシー、インテルの監督を歴任したモウリーニョはまさに賢慮の持ち主で、現代のリーダー像がどうあるべきかを明示してくれています。。
 個人技が多くまたファンもそれを望んでいる風潮がある中、モウリーニョ監督はチームの団結を重視し、団結したチームは個人の総和を超えているという信念の元、さまざまなコミュニケーション技術を駆使して、チームを優勝へと導きました。
監督と選手とは距離があるのが普通のプロ・サッカー界では珍しく、選手を外部や相手チームからのマインドゲームから守り、スタッフやチーム全体を守り、寄り添う姿勢を見せながらも、チームのリーダーである権威と威厳は誰もが認める名監督です。賢慮と同定義の高いCI(状況把握形知性)を備え「環境の変化を理解し、時代の成り行きを利用する能力」を最大に駆使しました。

参考文献
『モウリーニョのリーダー論』ルイス・ローレンス 実業之日本社

有名なエピソード・言葉 「来年、私たちが王者になる。そのことに、私には一片の疑いもない。」
「俺は監督として、選手たちにフットボールの指導はしない。チームとしてどのようにプレーするかだけを指導し、一丸となれば単なる個人の集団異常の存在になれることを伝える。」

リーダー列伝はこれからもどんどん更新されていきます。お楽しみに!

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